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2008年11月16日 (日)

高天彦(たかまひこ)神社(ⅰ)

 奈良盆地の西の青垣山は二上山、葛城山、金剛山。二上山麓から尾張氏、葛城、金剛の山麓からは葛城氏と鴨(加茂)氏が発祥し、各地に勢力を伸ばしていった。昔は葛城と金剛を併せて葛城山と呼んで、その中で金剛山は髙天(たかま)山と呼ばれていた。その髙天山の中腹の広い台地に髙天彦神社がある。髙天山の真東にあたる。高天原伝承地つまり、ここが神話に出てくる高天原だという場所は全国に幾つかあるが、このあたりも有力な候補地なのである。奈良盆地を俯瞰する自然の展望台のような地形。高天原の実在性を詮索することの当否は別として、この場所をモデルとして高天原が構想されたということは充分ありうることだ。

Img_1682  髙天彦神社の祭神はタカミムスビノカミ(高皇産霊尊、高御産巣日神、高木神)。

(←葛城山。金剛山。手前は大和三山。三輪山の久延彦神社あたりから)

 タカミムスビは古事記の中ではタカギノカミ(高木神)の名で登場することもあるので樹木崇拝のカミであることが判る。タカミムスビはまた太陽神でもある。邪馬台国の卑弥呼が祭り仕えたカミもこのタカミムスビだった可能性が高い。太陽神といえばアマテラスだが、アマテラスの前に男神のアマテル(天照御魂神、天照神、天照玉命)が太陽神として崇拝されていたことは、現在では通説といっていいだろう。先に内宮の荒祭宮の祭神は宇治土公(うじどこ)氏の太陽神であろうといったが(→「月読宮」)、祭神はアマザカルムカツヒメでアマテルのムカヒメ(正妻)だったとする有力説があり、私もこれが正しいと思うようになった。私は、アマテル神とは崇神朝において物部氏の太陽信仰と葛城氏の太陽信仰(アマ(天=アマ、アメ=海)系とタカギ系といってもよい)とが融合して創られたカミで、前方後円墳祭祀と関連するものだと仮定しているが、これは別途に述べることにする。           

 タカミムスビはまた葛城氏の祖神である。葛城氏の祖神としてはヒトコトヌシ(一言主神)もあるが、葛城族のミコトモチ(=預言者、神言の伝達役)が、カミへと昇格したものであろう。タカミムスビは天皇家の祖神でもある。久舎衞坂(くさゑのさか、東大阪市日下)の戦いで、長髓彦(ながすねひこ)に敗れて紀伊半島を迂回し熊野に入った神武天皇に、布都御魂(ふつのみたま)の剣と八咫烏を遣わしたのは、タカギ神とアマテラスである。神武天皇は丹生川で大伴氏の遠祖のミチノオミ(道臣命)に「今高見産霊尊を以て、朕(われ)親(みず)から顕斎(うつしいはい)を作(な)さむ。汝(いまし)を用(も)て斎主(いわいのうし)として、授くるに厳姫(いつひめ)の号(な)を以てせむ」と勅(みことのり)した。顕斎とはタカミムスビの霊が神武天皇に憑りついて、神武が神となって現れるということらしい。ミチノオミに巫女の役を勤めよといっているのだ。これは古代の祭祀の在り方についての重要な記録ではないか。タカミムスビは現在も皇居の神殿(ハ神殿)に祭られている。皇室において古代から現代に至るまで一貫して祭られ続けたカミはタカミムスビなのである。アマテラスは「伊勢にいます神」として尊崇されてはいたが、皇室でアマテラスの祭式が整うのは平安時代に入ってからのことだ。

Img_0888 タカミムスビは、高天原の主宰神であり、天孫降臨の司令神である、記紀の記述を素直に読めば、このように判断するしかない。アマテラスが単独で、天孫降臨を命じたとするのは、「一書に曰く」に一例あるだけなのだ。また、タカミムスビはアメノミナカヌシ(天乃御中主神)、カミムスビ(神産霊尊、神皇産霊尊)と並んで造化三神の一柱である。造化三神は神学的な構想された観念的な神様であるが、タカミムスビは、今まで概観したように具体的な内実を備えた神であった。「記紀」の編纂者は、中国思想や仏教思想に拮抗するに足る倭(やまと)的なるもの、日本的なるものとは何か、深刻な哲学的な思弁を迫られたに違いない。そこで見いだされたのが「産霊(むすび)」の思想なのではないか。対立的存在の和合によって生成力が発現するという発想の元になったのは、イザナギ、イザナミ神話かもしれない。産霊の根源を最高神であるタカミムスビ(タカギ神)に求める過程でカミムスビが構想され、さらには産霊という原理そのものにアメノミナカヌシの神名が与えられたのではないだろうか。

 記紀の記述のなかで、前々から気になっていることがある。それは天孫降臨における<タカミムスビーアマテラス>、応神天皇の即位についての<竹内宿禰ー神功皇后>、また<蘇我馬子ー推古天皇>の関係の類似性である。葛城系の氏族である蘇我氏の影響もあるのだろうが、葛城族の祭政思想が受け継がれたもので「女帝」の誕生とも関連しているのではないだろうか(→08年1月「素鵞の社(b)」続きも書く予定)。

Img_0890 タカミムスビが日本神話の最高神(といって良いだろう)に進化していく過程が記紀の叙述から跡づけることができるが、元々は樹木のカミであった。巨大な樹木や特別な場所にある樹木、特別な性質を持つ樹木を崇拝することは、遙かな昔から(おそらく新石器時代)世界中に観られる現象であって、現在も各地に残る極めて素朴な自然信仰の形であるということができる。具体的な樹木の名を冠した神社、諸杉神社、大杉神社、杉山神社、杉桙別命神社、あるいは槻神社、神高槻神社、楠本神社、桜市神社、櫟本神社、楢本神社、また荒木神社、樹下神社等々。こういう名前の神社は全国各地にあるがほとんどが小社である。縄文時代から続く山人、海人、農民の素朴な営みを反映したものなのだろう。樹木を崇拝するといっても、樹木自体がカミというわけではなく、カミの形は太陽や、川や海、山と、樹木、蛇神と流動的であって、そのような神々の憑り代としての樹木崇拝なのであった。このような神々はヨソの神を支配することもなく、他神に支配されることもなく、神名の変化はあったかもしれないが、記紀神話にとりこまれることもなく、ローカルで自足的に生きながらえてきた神々なのだった。江戸時代の享保年間に茨城県桜川村の大杉明神が疱瘡を払うに霊験あらたかという噂がたって、村の明神様が突然に流行神(はやりがみ)となって神霊の御輿が江戸まで繰り出すということがあった。江戸時代にはこういうことが何回かあったらしい。

 あとは次回へと続く。

 

    

 

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